労災過労死の申請、損害賠償請求は、労働事件専門の京都第一法律事務所へ

京都第一の強みと実績

ウエザーニューズ社の青年気象予報士過労自殺事件~完全勝利解決~

[事件報告]

ウエザーニューズ社の青年気象予報士過労自殺事件~完全勝利解決~

1日も早く

私たちの事務所には、多くの過労死や過労自殺の被害者遺族が、さらには、死亡は免れたものの重篤な後遺障害が残る労働災害の被害者の方々がお見えになります。
  最近の特徴は、事件が起こってから、早い時期に事務所にお見えになることです。実は、そのことが、被害者救済に大きな影響を与えています。

こうした事件の帰趨は、どれだけの時間働いたか、どんなストレスがあったか、ということを、どれだけ証明できるかにかかっています。従って、早期に、そうした事実関係を明らかにさせる作業が不可欠なのです。

証拠をきちんと集めきること、ある意味それが全てと言っても過言ではありません。しかも、その証拠の多くは、同僚などの証言です。生々しい証言ほど信憑性は強いのです。

待ち受けていた過酷な労働

「ウエザーニューズ」という会社の名前は、毎日のようにテレビで目にします。今から24年前に創立されたこの会社は、今や気象情報業界の最大手です。同じ頃、この事件の被害者は生を授かりました。そして、2008年4月に入社しました。気象関係の仕事につくことを幼い頃からの夢にしていた彼は、気象予報士の資格を取り、この会社で仕事が出来るようになったことを心から喜んでいました。

この会社では、最初の半年間を「予選期間」と呼んでいました。そこで勝ち残った者が真の正社員になれるというわけです。彼が自ら若い生命を絶ったのは、その「予選期間」が終わった直後でした。入社した年の10月です。

その半年間、彼は寝食を忘れて懸命に仕事に打ち込みました。

彼が残したパソコンや携帯のメールから、連日深夜まで仕事に追われている状況が手に取るように分かりました。また、彼の同僚の証言からも、激しく上司から叱責されていた状況や昼の休みも取れない状況、時計の針が12時を回ってから夜食を取るなどの状況がリアルに浮かび上がってきました。彼は、会社のすぐ近くに居を構えました。

しかし、必死になって働き、精も根も尽き果てた先に、会社の厳しい評価が待っていました。彼には出口がありませんでした。

わずか 8ヶ月で労災認定

労災申請をしたのは、彼が亡くなってちょうど1年後でした。いろんな資料をそろえて申請に臨みました。そしてわずか8ヶ月で、千葉労働基準監督署は、労災認定を行ったのです。かっては、随分と難航した過労自殺について、労災の門戸は間違いなく広くなっています。早い時期に弁護士の門を叩いたことも、証拠の保全・整理や監督署交渉などの面で、大きな役割を果たしました。

労災認定だけでは、補償はきわめて不十分です。私たちは、会社に十分な補償を求めました。しかし、会社は、これを拒絶、私たちはやむなく裁判に踏み切りました。

完全勝利の和解内容

「長く苦しい裁判闘争が続くかも知れない」そんな決意を固めての提訴でした。しかし、それからわずか2ヶ月半後、内容において判決を上回る和解が成立したのです。

裁判所の和解条項は、次のとおりです。

「被告は、本件が被告会社における長時間労働等によって引き起こされたものであること及びその責任を認め、このような結果を招いたことに対し、原告らに対し深く謝罪する。

被告は、これまでの労働時間管理・労務管理を見直し、社員が健康で安心して働ける職場環境を整え、再び、かかる事件を発生させないよう具体的手立てを講じることを約束する。」

そして、事件の補償に相応しい和解金の支払いが約されました。

また、裁判所の和解の席上、会社の副社長が深く頭を下げ遺族の人たちに謝罪し、二度とこのような事件を起こさないことを言明しました。

会社を追い詰めた力

短期間に会社を追い詰めたのは、圧倒的な過重労働の事実であり、提訴に伴い大きく動いた世論でした。提訴のニュースは全国を駆け巡り、月200時間を超える残業をさせてきた、労災認定を受けた、にもかかわらず、訴訟を起こされるまで放置した、こうした流れに相次ぐ非難の声が会社に寄せられたのです。そして、会社は、それまでと180度異なる方向転換をし、第1回目の裁判期日を待たずして、和解の申入をしてきたのです。

二度と事件を起こさせないために

早期の労災認定と和解解決ができたことは、これまでの数十年に及ぶ過労死・過労自殺事件の闘いが、そんな状況を作り上げてきたことを意味します。

しかし、他方で、それだけ我が国社会での労働者の働き方が異常になっているということも意味しています。

とりわけ、青年労働者の働き方の異常さは顕著です。

若い人たちが希望を膨らませてこれからの人生を歩めるよう、この事件が問いかけたものを、これからも私なりに追い続けていきたいと思っています。

「まきえや」2011年春号