労災過労死の申請、損害賠償請求は、労働事件専門の京都第一法律事務所へ

京都第一の強みと実績

御所南小学校過労死事件 基金支部で労災認定

御所南小学校過労死事件 基金支部で労災認定

異例の「早さ」で過労死認定

京都市立御所南小学校の2学年の学年主任をしていたO先生が、2009年11月2日、自宅で持ち帰り残業中に脳幹出血で死亡した件について、去る2011年12月12日、地方公務員災害補償基金京都支部において「公務上の災害」(過労死)と認定されました。O先生が亡くなってからはすでに2年以上が経過していますがが、基金支部段階で認定されたこともあり、公務員の過労死認定としては異例の早さでの認定といえます。

あまりにも過重な業務

御所南小学校は、門川大作前教育長の号令の下、偏った多額の予算を投入されてきたモデル校であり、先端的な教育を行う学校として、その名は広く知られています。文部科学省や京都市からも様々な指定を受けて「コミュニティ・スクール」の在り方を研究し、御池中学校との小中一貫教育も推進するなかで「読解課」という全く新しい科目を設置するなどしてきました。

しかし、公立学校でこのような「ブランド化」をはかったこともあり、御所南小学校への入学希望者が殺到し、児童数が極端に増えて1000人を超えるマンモス校になりました。今、御所南小学校では、グラウンドにもプレハブの校舎が建ち、高学年の一部は御池中学校の教室を借りて授業を受けるといういびつな状態になっています。

このような状況の下、現場の職員も超長時間労働を強いられていました。O先生以外にも、過重労働のなかで倒れて医師に入院を指示されたのに、翌朝からは無理に出勤しなければならない例があったほどです。誰が倒れてもおかしくない状態だったと言えます。その中でもO先生の業務の過重性は特にひどく、亡くなった2009年には2学年の担任と学年主任、研究主任、「読解課」という全く新しい科目の主任、図書館の実質的な責任者等、様々な重責を担っていました。特に学年の取りまとめ役である学年主任と、学校全体の教育研究についての取りまとめ役である研究主任の掛け持ちはきわめて過重で、御所南小学校と同様に御池中学校との小中一貫教育をしている高倉小学校ではこの二つの任務を兼任しないように配慮されていました。

そして、O先生は、全国から多数の参観者が訪れる「未来に輝く小中一貫コミュニティ・スクール教育研究発表会」を目前にして、遂に力尽きてしまいました。

O先生の勤務実態

夫であるAさんは、O先生の死を過労死だと考えて公務上災害の申請を決意し、村山晃、谷文彰、渡辺の各弁護士が代理人を担当しました。

現行の過労死についての労災認定基準は、非常に大ざっぱに言えば、脳・心臓疾患で倒れる直前の時期に週40時間労働制との関係での時間外労働時間が月100時間を超えたり、月80時間前後ある時期が数ヶ月続いたりすると、労災に認定される傾向が強くなります(もちろんこれ以下の労働時間でも他の業務の過重な点を根拠に認定されることもあります)。過労死の労災認定で常に問題となるのはこの労働時間の立証です。

この点、O先生は京都市の郊外からマイカー通勤しており、毎日、ETCカードを使って高速道路を利用していたため、料金所のゲート通過時刻が分かれば、在校時間(≒労働時間)を割り出せる可能性がありました。そこで高速道路を管理している西日本高速道路株式会社から過去2年分の情報を取り寄せました。すると、毎朝8時頃には学校に到着し、夜は22時、23時まで在校するのが当たり前、休日の出勤もしばしばというO先生の生活がリアルに伝わってきました。その傾向は死の直近の時期になるほどひどくなっていました。また、O先生のパソコンに残されたデータからも、O先生が深夜まで研究発表、児童の授業や成績付けのために書類を作成していた様子が垣間見えました。

また、同僚の複数の先生方がO先生の働きぶりについて貴重な証言をして下さり、朝早くから夜遅くまで、休憩時間すらとれないまま、様々な業務に奔走するO先生の勤務実態がリアルに浮かび上がってきました。さらに、夫のAさんは、O先生が帰宅後の深夜や休日も自宅でテストの採点をしたり、パソコンで作業をするなど、持ち帰り残業をしている姿を日常的に見かけていました。 そのような様々な検討の結果、弁護団が推計した時間外勤務の時間は亡くなる直近2ヶ月でいずれも1ヶ月あたり242時間にもなりました。O先生は持てる時間の限界まで仕事に費やしていたのです。

地方公務員災害補償基金京都支部の認定

一方、基金支部による労災認定は、結果としてはO先生の過労死を認定したものの、直近1ヶ月の時間外勤務時間を96時間、直近2ヶ月~1ヶ月までの1ヶ月間で90時間しか認定しませんでした。これは、在校時の時間外勤務時間のみを算定に用いている数字で、早出残業も、休憩時間を取得できていない状況も、持ち帰り残業も、考慮の外としているように見えます。とても低すぎる残業時間の認定と言わざるを得ませんが、逆に言えば、それぐらい低く測定しても、O先生の労働時間は過労死ラインを超えていたということなのでしょう。

過労死の根絶を目指して

京都市教育委員会は、Aさんが労災申請をしても、労災が認められても、何も動きをとりませんでした。しかしAさんと弁護団が記者会見を開き、「先端教育のモデル校で起こった過労死事件」という論調の報道がされると、慌てた市教委は、年明けの2012年1月6日に、各学校長宛に「教職員の健康の保持・増進に向けた取組の再点検及び徹底について」という通達を発しました。この中では、「これまでから事務の効率化等による時間外勤務の縮減、独自予算による教員配置など教育環境・勤務条件の向上に努め」てきたと虚勢を張りながら、一方で、時間外勤務の縮減、定期健康診断の悉皆受診、週休日の振替及び宿泊を伴う行事について実施前後の会議・研修の削減や部活の休止、授業カットなどを打ち出しました。

教育現場では相変わらず超長時間労働が続いています。そのような中、京都市立学校では、昨年、最高裁判決があった超勤訴訟もうけて、自己申告制ながら教員の勤務時間の把握を始めるなど、一定の変化が生まれています。御所南小学校でも、夜8時半になると管理職が帰宅を促すようになっているといいます。しかし、人が死にいたる状況でないと改善されないこと自体が大問題ですし、上記通達の経緯や内容に象徴的に見られるように、市教委が過労死の根絶に向けて前向きな姿勢を示しているとは到底言えない状況です。教員が文字通り死にそうになりながら働く環境で、生徒、児童が健全に育つとは、とても思えません。

今後も、人間らしく働ける職場環境の確立を目指して奮闘する決意です。

以上

(弁護団 村山 晃、渡辺 輝人、谷 文彰)
2012年1月