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京都市教員K氏過労死事件

京都市教員K氏過労死事件

下鴨中学校の教師であったKさん(当時56歳)は、1978年5月に箱根方面への修学旅行引率中に脳内出血を発症され死亡されました。

Kさんは下鴨中学校へ来る前は、6年間もいわゆる同和校に在籍し、通常のクラス担任や教科担当だけでなく、同和地区生徒に対する学習会活動や家庭訪問などで多忙を極め、残業時間(持ち帰り残業を含む)は1か月100時間を超える過酷なものでした。また、下鴨中学校への転任直後に3年生の担任となり、転任後1か月余りで修学旅行の引率を行いました。そのため一般の教科指導の準備だけでなく修学旅行の準備も重なって多忙を極めました。しかも、修学旅行の10日前位から声が出にくいという重篤な風邪に罹患していました。それでも、Kさんは、修学旅行の引率業務に就き、出にくい声を絞り出すように出して生徒指導を行ったために脳内(小脳)出血を発症し死亡されたのです。

そこでKさんの遺族が公務災害認定の申請をしましたが、地方公務員災害補償基金及び京都地裁判決(1990年10月)は、不当にもKさんの死亡を公務外と認定しました。さらに控訴して闘ったところ、大阪高裁は1993年2月にKさんの死亡を公務上と認定し、京都地裁判決を取消しました。基金側が上告しなかったため、大阪高裁での逆転勝訴判決は確定しました。

Kさんが亡くなられた当時、循環器系を原因とするこの種の死亡は「ポックリ病」とか「急性死」といわれていました。Kさんの事件で、過労の蓄積による脳血管壁の脆弱化を明らかにし、死亡についての公務起因性の認定を得るために、当時の教え子達、同僚教員、校長などの多数の人々による協力が必要でした。このため最終的に勝利するまでに実に15年を要しました。この長い闘いの間に、我が国にとっては不名誉なことであるが、国際的にも、「過労死」(カローシ)という言葉が定着するようになったのでした。