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城陽市教育委員会H氏過労死事件

城陽市教育委員会H氏過労死事件

城陽市教育委員会教育次長の要職にあったHさん(当時46歳)は、1977年10月に定例部長会議の席上でクモ膜下出血を発症され死亡されました。

当時、城陽市は、市長、助役、教育長がともに不在という異常事態の下にありました。Hさんは教育分野の実質的な最高責任者として多くの難題に精力的に取り組み多忙を極めました。Hさんは高血圧症と診断さていたが、治療のために病院へ行く時間すら取れなかったのです。その結果、Hさんは、精神的ストレスと肉体的疲労が蓄積し、高血圧症を悪化させ、ついに脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血を発症して死亡されたのでした。

そこで、Hさんの遺族が公務災害認定の申請をしたが、地方公務員災害補償基金は、不当にもHさんの死亡を公務外と認定しました。

Hさんの遺族は公務上の認定を求めて京都地裁に提訴したところ、京都地裁は1990年10月にHさんの死亡を公務上と認定する判決を言渡しました。

基金側は控訴しましたが、大阪高裁は1991年9月に公務上と認定した京都地裁判決を支持する判決を言渡しました。基金側が上告しなかったため勝訴判決は確定しました。