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JR西日本の熟練運転手の自殺に労災認定
- 担当弁護士
- 飯田 昭
JR西日本の熟練運転手の自殺に労災認定
突然の「自殺」
Sさん(死亡時54歳)はJR西日本高槻電車区に勤務する、指導主任1級の資格を持つ熟練運転士でした。
2000年3月17日夜、米原駅発姫路駅行き、快速電車を業務として運転中、大久保駅付近の踏切りを通過した際、飛び込み自殺と思われる人身事故に遭遇しました。Sさんはその際、後部から押されるような感じはしましたが、人身事故が発生したものとは気付かず、そのまま電車を運転し続け、何時もの通り網干駅まで運転を続け、同駅で下車し、何時もの通り仮眠しました。
翌朝(3月18日)午前8時、高槻電車区の助役から死亡事故が発生していたことの連絡を受け、直ちに高槻電車区に呼ばれ、主としてM助役から事情聴取を受けました。
その後、午後8時頃自宅に帰りますが、家族には事故のことは話していません。
いつもは孫と遊んでいましたが、気分が悪いと訴え、食事もとらず、コートも脱がずにずっと床に顔をふせたままで、妻は風邪でも引いたかと思い、風邪薬と水を出し、横になってもらったとのことです。
翌19日は特休日だったのですが、一日中青い顔をしてぼーっとしていましたが、やはり家族には事故のことは言いませんでした。
翌20日、朝7時過ぎ、妻が起床した時にはもうSさんの布団の中は空でした。音も立てず黙って出て行ったようで、妻は変だとは思いましたが、自転車がなかったので、用事で出かけたのだと思っていました。
同日午後、職場から妻に電話があり、「同日午後1時にSさんが神戸鉄道警察に出頭することになっていたが、警察から来ていないとの連絡があった、携帯の番号を知らないか」との内容で、妻はこの電話で始めて死亡事故の事実を知ったのです。
その後、何度も携帯に連絡しましたが、結局、連絡がとれないままでした。
そして、翌21日の朝、職場からの連絡は、「遺書は無いか」というもので、高槻電車区の車庫内で、21日未明に、自殺していたという悲惨なものでした。
家族が現場にかけつけた時には、ロッカーには、遺書も何も残されていなかったとのことです。
納得できないJR当局の説明
当初、家族や友人にとっては、悲しみとともに、狐につままれた状態でした。Sさんは日頃、さして神経質な方ではないうえ、自動車の運転中に人をはねた場合には、高速道路を除き過失は明らかですが、鉄道事故の飛び込み自殺については、運転手にとっては防ぐことは不可能です。また、長年の経験の中では、一度は飛び込み自殺に巻き込まれることがあってもおかしくないと言われている職場です。
JR当局の遺族に対する説明は、当日の事情聴取においては、事故に気が付かなかったのかという点について主に聴取したが、特に問題はなかった、20日の朝は一旦高槻電車区に立ち寄り、午後から1人で神戸鉄道警察に出頭することになっていて、午前中に電車区を出ていった。警察の事情聴取といっても、このような場合には形式的なもので、運転者が罪に問われることはないので、そんなに大変なものではない、何故このような事態になったか、当局としても判らないといったものでした。
遺族(妻と2人の娘さん)は当局の説明に対して、「これでは自殺する理由がないではないか」との強い疑問をもちました。Sさんは主流派の組合に属していましたが、友人から個人的な協力を受けることはできても、当局が労災にあたるような事案ではないといっている以上、属していた組合が全面的に応援してくれることは期待できない状況でした。
「労災」認定申請の取組み
以上のような状況のもとで、妻子は親族の紹介で、相談に訪れました。労災認定の新基準では、一般には業務中死亡事故を引き起こした場合には、強度3とされますが、避けることのできない鉄道への飛び込み自殺の場合には、それだけでは労災認定に結びつかない可能性もあります。何よりも、それだけでは無いはずであり、当局から死亡事故を起こしたことにつき、何故気付かなかったかと、厳しく叱責されたに違いありません。しかし、その証拠をどうして入手できるのかについての「壁」があります。
このように手探りで始まった労災認定申請の準備で、奥村一彦弁護士と2人で担当しましたが、親戚、友人、知人、そして少数派労働組合(JR西日本労働組合)が全面的に協力してくれるようになり(多数派組合からも一定の協力は得られました)ました。その中で、M助役が「ひき逃げ」として、「気付かないはずはない」と追求した事実、20日朝には熟練運転手にとっては屈辱的な運転指導用のビデオテープを見せられた事実、その後のロッカールームでの状況など、事故後のストレスの状況が、徐々に明らかになってきました。
特に、M助役に象徴される、事故を起こした社員に対し、上司がよってたかって罵声を浴びせ、叱責し、一年間で7人もの自殺者がでているJRの労務管理の実態についてもふみこんで、JR当局の協力は全く得られなかった中で、多数の意見書、陳述書、証言、報告書を準備、提出しました。
認定へ
そして、01年12月7日に茨木労働基準監督署に提出していた労災申請に対し、03年2月20日付で念願の支給決定が届いたのです。
その理由としては、人身事故が発生したことに気付かず、そのまま運転を続けたことにより「ひき逃げ」と追求され得る状態に陥ったことで「強度3」としました。その上で、その後の指導の内容、ビデオテープを見せられたこと、支援がなかったこと、1人で警察への出頭を求められたことなどにより、心理的負担が相当程度加重され、総合的に評価して精神障害を発病させる恐れがある程度の心理的負担=「強」により、自殺に至る疾病が発症していると認めたとするものです。また、他の理由による特段の個人的な要因は認められないとしています。
JRの運転手が死亡事故を苦にして自殺に至ったことにつき、業務上認定したケースとしては先進的なものであるといえるでしょう。