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N先生(小学校)の過労死大阪高裁でも完全勝訴判決
N先生(小学校)の過労死大阪高裁でも完全勝訴判決
勝訴判決が確定
去る2月20日に言い渡された大阪高裁判決は、小学校の教員であったN先生(1989年2月21日死亡。当時39歳)の労働実態や職場環境を京都地裁判決以上に詳細に事実認定して、その死亡が公務上であることを認めました。この勝訴判決は、地方公務員災害補償基金京都府支部長(荒巻禎一)が上告を断念したことにより確定しました。
大阪高裁での攻防
昨年1月28日に京都地裁でN先生の死亡を公務上と認める判決が言い渡されましたが、高裁ではこの種の事件としては比較的短期間で審理を終え、再び完全勝訴の判決を言い渡したのです。大阪高裁において、基金支部は、新たに医師の意見書を提出したり、N先生の業務量に関して独自に作成した膨大な資料を提出するなどして、懸命に地裁判決を覆そうとましたが、私たちは医師の意見書(反論)や多数の医学文献を提出し、また基金支部の作成した資料の杜撰さを詳細に主張立証してこれをことごとく反撃しました。このような攻防を経て、高裁判決は基金支部の控訴を棄却したのです。
高裁判決が認定した職場環境、労働実態
高裁判決は、(1)当時の梅屋小学校における職場環境について、9名の教員のうち5名が転入者(うち1名が新採、2名が常勤講師)で、N先生を含む前年度からの在籍者4名の教員に負担のかかる職場環境であったこと、(2)校務分掌について、N先生が2学年の学級担任に加え、教務主任、同和教育主任、体育主任を含む(17)の校務分掌を担当したこと、(3)教務主任は中間管理職的地位にあり校長ら管理職と一般の教職員の双方に対して神経を使う立場にあったこと、(4)同和教育はその対応を誤ると人権問題、差別問題として糾弾されかねないため極めて神経を使うものであったこと、(5)当時、梅屋小学校は自主研究の発表校であり、その成功にむけてN先生が中心的な役割を果たしたこと、(6)2学年は単学級であったことなどから、N先生は他の教員と比較しても職務が過重なものであったと認定しました。
さらに高裁判決は、N先生の前年度と後年度の教務主任の職務状況についても言及し、前年度の教務主任は身体的にも精神的にも疲労が蓄積して依願退職したこと、後年度の教務主任は負担が軽減されたことも認定資料にして、N先生の職務が過重で、多量の仕事を自宅に持ち帰って夜遅くまでかかって処理することが常態化していたと認定しました。
大阪高裁勝利判決報告集会(2001.2.20)で判決内容を報告
ストレスと疲労の蓄積による死亡
このような過重な職務を遂行した結果、約1年間にわたってN先生の心身に加えられ続けたストレス及び疲労の蓄積は相当な程度に達していたもので、ストレスと心室細動、致死性不整脈発症(死因)との間に事実的因果関係を是認するに足る高度の蓋然性が認められ、しかも、職務の過重によるストレスの方が職務外のストレスに比してより有力な原因であるとして、大阪高裁は、公務と心室細動、致死性不整脈発症との間の因果関係の相当性を肯定し、N先生の死亡の公務起因性を認めたのです。
高裁判決の意義
この大阪高裁判決は、教員の職務が多忙でかつ神経を使うものであること、夜遅くまでの持ち帰り残業が常態化していることなどを正確に事実認定し、しかも公務起因性について行政庁の見解にとらわれることなく、現在の過労死に関する判例水準を踏まえて妥当な結論を導いており、高く評価できるものです。
この判決を契機に、教職員の職場環境が改善され、過重な職務が軽減されるように望むものです。